ネコ被ってでも。

猫派か犬派かと聞かれたら、犬派ですけども。

ここにいたかもしれない誰かを思う。

 

今日は残りの人生の最初の日

とか言われても

生きれば生きるほど

生きていることが当たり前になり

朝が来ることが当たり前になる。

 

小学生の頃は

なぜかほぼ毎日、

朝起きたときに

「ああ、良かった。今日も生きてる」

と目が覚めたときに

いつも思っていた。

 

そんな私がたまに考えることがある。

 

それは誰かと一緒にいるときに

もしかしたらここには

あともう一人誰かがいたかもしれない

と考えてみること。

 

友人といるとき

もしかしたら

ここにもう一人仲の良かった人が

いたかもしれない

 

仕事をしているとき

もしかしたら

ここにもう一人

プロジェクトメンバーが

いたかもしれない

 

でもその誰かは

何かの理由があって

これまでの色んな出来事の中で

いなくなってしまった。

 

そう考えると

今この一緒にいる人が

これまでの出来事の積み重ねで

偶然今この場に

いてくれていることがわかり

 

そしてそれは

自分がそのいない誰かだった

可能性も教えてくれ

 

私があなたの立場だったかもしれない

ことも教えてくれる

 

そうなると

他の人に対して

そう考える前よりも優しくなれる

 

だって、私はあなた(の立場)だったのかも知れないのだから。